- 創設者の大久保貞義さんとの出会い。姉と私で「ここなら両親を安心して預けることができそうだ」と確信し両親の入居を決めました -
母、阿部昭子が2016年の夏にロイヤルハウス石岡本館に入居して以来、早9年が経った。
入居前、80代半ばを迎えていた両親は体調を崩し、東京での暮らしが困難になっていた。先に父の具合が悪くなり、世話をしていた母も疲労困憊し、力尽きていた。姉はフランスのパリ在住、私はイギリスのロンドン暮らし、と娘は二人とも外国住まい。それぞれ仕事をし、家庭もあった。両親の様子を見るためにヨーロッパと日本をしょっちゅう行き来していたが、それでは対処できなくなった。
暑い盛りの同年8月、姉と私は一緒に帰国し、どうするかを協議した。たまたま私の以前の職場の先輩を通じて“ロイヤルハウス石岡”の存在を知り、当時の社長 大久保貞義さん(故人)に二人で会いに行くと、大久保さんは自らの介護施設運営の思想を情熱を込めて話してくださった。
大久保さんの理念は、今でもロイヤルのあちこちで見かけるスローガン「あなたの最高の笑顔を創りたい」に尽きた。大久保さんは、日本ではまだ介護施設が珍しかった1980年代後半にロイヤルを設立したが、当初から「高齢者が明るく生き生きと過ごせる施設にしたい」との理想を持っておられた。
茨城県石岡市はそれまで訪れたことのない未知の場所だったが、大久保さんの話に感銘を受け、施設内を見学し、一階の夫婦部屋を見せてもらうと、二人とも「ここなら両親を安心して預けることができそうだ」との確信を持った。その後はとんとん拍子に話が進み、両親は8月末に入居。父は行き届いた介護を受け、母は瞬く間に体調を回復した。
父は2019年に亡くなったが、母は引き続き一階の夫婦部屋で暮らした。その母も90歳を超えたころからだんだん身の回りのことが十分にこなせなくなり、2025年1月からは本館二階の一人部屋に移っている。
この10月に94歳になった母は、現在精神的にも身体的にも安定し、穏やかに日々を過ごしている。母の部屋には、日中は大きな窓から明るい日差しが射し込み、ヘルパーさんや看護師の方が張りのある声で「昭子さん、こんにちは!」と言いながらちょくちょく様子を見に来てくださる。
また、広々とした二階の食堂は、単に入居者が食事をするだけではなく、「人の集まる場所」になっている。そこでは常に何人かの入居者がいて、椅子に座ってパズルをしたり将棋を指したりしている。そして、隣にあるガラス張りのヘルパー室からヘルパーさんたちが来て、入居者に語りかけてくださる。時々ここでカラオケ大会も行われ、ヘルパーさんが入居者と一緒にマイクを握って歌っている。歌好きの母も参加して小声で歌う。母のお気に入りの曲は森山良子の「涙そうそう」である。母はこの食堂を「広場」と呼び、自室に戻っても退屈するとすぐに「広場に行ってくるね」と言って出かけていくのだ。
ヘルパーさんたちは若い人からベテランの方まで幅広く、いつもきびきびと動き回っている。ロイヤルの職員の方々の一番の特色は、皆とてもやさしく、エネルギーにあふれて前向きである、ということだと思う。暗い雰囲気の人はひとりもいない。施設内にはこのようなプラスの空気が満ちていて、入居者にとてもいい影響を与えている。
母はもともと明るく世話好きな性格である。高齢になって日常生活がうまく回らなくなってからは気分の落ち込むことも多かったが、今は生来の性格を取り戻し、ニコニコと穏やかな笑顔で生活している。
遠い外国で暮らしていると、思うように母を訪ねることができない。帰国して母を訪ねても何日かすれば母を置いて飛行機に乗らなければならず、その時は身を切られるようにつらい。私たち家族は、それでも費用や時間をやりくりして年に何度かは母に会いに行く。成人した3人の孫たちも皆「おばあちゃん」が大好きで、東京へ行けば必ずおばあちゃんに会いに行っている。
もっと頻繁に会いに行きたいといつも思う。どんなに忙しくても、母のことを考えない日は一日もない。でも、ロイヤルでよく面倒を見てもらい、明るいエネルギーに満ちた職員の方々が見守ってくださっている光景を思い浮かべると安心する。心から「ありがとうございます」と感謝の気持ちをお伝えしたい。
