梅沢 明子様

- 神様の悪戯なのか、運命の引き合わせ!? それが私と私の家族に起こった、ロイヤルハウス石岡様とのご縁。それはそれは不思議なんですよ。-

 本当に大切にしたいものは何かを考えると、精神面だと思うんです。ここに入居した両親、伯父、叔母が私にかけてくれた言葉が全てを物語っていると思いませんか?

 ここへの入居を考えることになったのは、ずっと以前の私自身が58才の頃なんですよ。
私にとってこの事は、「親を入れる」ことではありませんでした。私はその頃、実の両親と自分の家族の2世帯住宅で暮らしていたのですが、母が何となく我儘になってきたなという感覚があり、実母という事もあり、よくぶつかるようになったのです。こんな感情を本当は親に対して持ちたくないし、私自身も娘がいるのですが、同じ様な気持ちを娘に持たれ軽蔑されるのは嫌だな、と思うようになりました。

 そのような状況でしたので、自分では”私の老後は有料老人ホームに入って誰にも迷惑を掛けずに過ごす”と、この時に思い立ち「有料老人ホーム協会」に入り、協会の主催する勉強会に参加したり、資料をもらったりとその頃から深い関心を持って情報収集を重ねておりました。

 そんな矢先、父が脳梗塞で倒れ、一命はとりとめたものの、車椅子での生活を余儀なくされてしまったのです。父は病院、リハビリ病院、介護老人保健施設と転院しましたが、これらの施設はどれをとっても父にとって良い所ではないと思っていたところ、ふと思い起こしたんです。「私いいものもってるじゃないか!」と気付き、有料老人ホーム協会で集めていたパンフレットを見直しはじめました。

 経済状況を考え、割高に思えた1都3県は外し、福島、新潟、茨城、一部静岡と案内を見ている中で、2件のホームが候補に残りました。早速資料請求をすると、両者とも訪ねてきてくださったのですが、1件はすれ違いで会えなくて、お会いできたもう一方がロイヤルハウスさんだったのです。

 

 見学の時に印象的だったのは、食事の時に入居者の方がニコニコして話しかけてきてくださった事です。他の施設では、見学者が入居者と接触する事をあまり好みませんでしたし、案内するスタッフも余計な会話を入居者の方と見学者の方がするのを避けていたようなフシもあったように思います。お食事の時に話しかけてきてくれたのはこの施設の方だけでしたね、とても気さくでしたし。案内してくれた方も、自然体で、気取っているわけでもなく、これが茨城の方の雰囲気なのかなと、この時、すっかり茨城の人々のファンになりました。実際に両親の介護の様子を見ていても、人柄の良さが伝わってきておりました。

 「最終的な場面を迎える場所だから、人と人とのふれあいはとても大事なことでしょう?」

 父が入居してからのことですが、本人が自分で歩きたいようでしたので、「けがをしても責任は問いませんから、歩行訓練をお願いします」と申し入れをしました。なんと、3ヵ月ほどで自立歩行ができるようになり、杖も使わずに颯爽と歩くことができるようになったんです。父は「明子、おれは歩けるようになったし家へ帰っても生活できるけど、ここにいる方がいいから、ここにいることにするよ」と言っていました。その次の月も、同じような事を口にしてくれて、私の判断は間違えていなかったと確信しました。

 それからまもなく、母も別の施設に入ったのですが、3年後に同じ施設にしようと、こちらにお世話になることにしました。母は、入居すると「明子、ここすごくいいところだから早く来な」とか言っちゃってました。入居してすぐは体調がすぐれなかった母も、食事をしっかり管理してもらうとすぐに回復し、カフェに行ってパフェを食べるなど、この世代としては想像もできなかったような贅沢ができ、晩年は”タカハシカズコ”という1人の女性として生きられたと思います。

 その後両親とも亡くなりましたが2人とも、痛い・苦しいというような思いはほとんどなく、安らかに逝けたと思います。ここではそういう穏やかな最期を迎えられるようなケアを、手厚くしてくださいました。主治医や介護士さんには、「自然のままに楽に逝かせてやってほしい」という家族の希望を理解していただき、その通りにしていただいたと思います。2人とも病気を患っていましたが、ここでは楽しそうに過ごしていましたし、良い状態での旅立ちだったと思います。

 また、ここでは入居者の方々のバス旅行があるのですが、私も一緒に連れて行ってもらう事ができ、親との旅行として楽しい思い出を共有する事ができました。しかも世話はスタッフの皆様にお任せで、娘としてほんとうにいい思いをさせてもらい、とてもありがたかったです。

 今は、伯父や叔母も入居していますが、「明子さん、いいところを紹介してくれてありがとうね」と言ってもらえました。伯父はおかげさまでとても元気に100歳を迎えます。(実は先にインタビューを終えた戸知様のお父様である岡野政重様の「将棋の先輩」です!)
 母とはこの施設で何十年かぶりに会い、人生最後の2年間は兄妹一緒に過ごすことが出来たのです。母は伯父と会うと、「えっ、兄さん!!」と涙を流しました。けれど、母は認知症でしたので、この感動のシーンが毎日繰り返されていたそうで、施設の方は「まただわ」なんていいながらも、微笑ましく見ていたそうです。

 「最後に、ここで起きたすごいことをお伝えしていいかしら?」(はい、どうぞ!)

 私は地元が八王子なのですが、小学校の時に転向してしまった同級生と半世紀ぶりにこの茨城県石岡市の、この施設で偶然にも再会したんです。彼女もここにお母様を入居させていて、またご縁が繋がり、再びお友達としてのお付き合いが出来るようになったのです。こんなサプライズが起きる施設ってめったにありませんよね。

 人が一生を終える場所には、様々な劇的なシーンが重なるという事だと思います。人生には想像以上の不思議なご縁があるのではないかと思っています。これはやっぱり神様の悪戯のような気がしてなりません・・。