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お便り集

ロイヤルハウスを終の棲家と思い定めた母

ご入居者ご家族 岩本一星 様

 早いもので母がロイヤルハウス石岡本館にお世話になるようになって12年半が過ぎました。
振り返ってみると、父の定年退職に伴って住み慣れた群馬脳梗塞で半身麻痺に県の桐生の地を離れて、余生を送るべく茅ヶ崎に移り住んだのが昭和44年の夏でした。
それから母が脳梗塞で倒れるまで18年余り、子供から見ても理想的ともいえる老後の生活を楽しんでいました。

苦しみの中で出会ったロイヤルハウス

 しかし、父は83歳、母も78歳を過ぎ、そろそろ老人二人きりの生活に不安を感じ始めていたこともあり、息子の私の家から徒歩で10分程度の場所に建設中のマンションが運良く入手でき、そろそろ茅ヶ崎を引き払って移ろうかとの準備を進めていた昭和62年8月初めに、以前からの高コレステロール体質で動脈硬化症である以外は極めて丈夫で78歳を過ぎて自転車に乗って買い物さえしていた母が脳梗塞で突然倒れました。2日間昏睡状態が続き意識が回復した後は左半身不随となり、幸い言葉の障害は有りませんでしたが、診察した先生からは車椅子に座れる状態まで回復したら上等と覚悟して下さいと宣言される程の重態でした。娘婿の斡旋で8月末に大宮日赤病院に転院することができ、それに伴って父も茅ヶ崎から与野市のマンションに引っ越し、昼間は日赤病院へ母の看病、夕方は私の妻が仕事を終えてから日赤へ父の迎えと洗濯物の交換や夕食の世話を行う日々が始まりました。

 日赤の先生の励ましと母の涙ぐましい頑張りのお陰で初めの診断予想を超える回復振りで、10月に入る頃には手すりに掴まりながらの歩行訓練を始められる段階になり、2ヶ月後リハビリ専門の病院へ再転院しました。
 そこでも母は、いろいろな境遇の方々がリハビリの訓練に励んでいる姿に触発され、思うようにならない体で畳に寝ころんだ状態から起きあがる練習や左足に固定具足をはめての歩行訓練と日赤入院中を上回る頑張りを見せてくれました。
 全て父のため、息子の家族のために頑張ろうとの妻として母としての一念と、そうした母の努力を支えてくれた私の妻の献身的な協力の結果として、杖を使って歩行ができる状態にまで回復し、昭和63年5月に退院しました。

母からの頼み…「夫婦で入れる有料ホームを探して」

 両親2人の生活を支えるために週に3日ほど市のデイサービスのお世話をお願いしつつ始まったマンション生活でしたが、家事一切これまで殆どしたことのない父に徘徊の兆候が現れ、夜中に各部屋の電灯のスウィッチを点けたり消したり、ガスを点けっぱなしにしたり、ちょっとしたミスで水を溢れさせ下の階の方にご迷惑をかけたりと、以前では考えられない危うい生活状態となり、とても2人だけでのマンション生活は無理なのではと途方に暮れる時期もありました。
 そんな折りに、幸いなことに意識がはっきりしている母が「もうこれ以上子供に迷惑を掛けるわけにはいかないから、2人一緒に入れる有料老人ホームを探して」と強い要請を受けました。私は長男で嫁いだ妹との2人兄妹ですし、長男として親の面倒は見なければとの考えでしたので、母の要請に正直戸惑いを感じましたし、反面母からそう言ってもらえたことで安堵感を抱いたのも事実です。旧来の道徳観からすると充実した施設とはいえ両親を有料老人ホームに入れることにはかなりの抵抗がありましたが、妹夫婦も「折角母が覚悟を決めたのだから希望通りにしてあげたら」との言葉もあり、市役所へ出向いて有料老人ホーム探しをしました。 

 埼玉県熊谷市の有料老人ホームも見に行きましたが、約30名の入所待ちの方がいるとのことで、そこで紹介されたのがロイヤルハウス石岡本館でした。早速、新設したばかりのロイヤルハウス石岡本館を見せていただき第1病院がすぐ隣りにあることも大変心強く感じられ、母も気に入った様子でしたので、昭和63年8月から1ヶ月間体験入所をすることにしました。
 ロイヤルハウスに両親2人と身のまわりのものを残して帰るときは、何ともいえぬ重い気持ちだったことを今でも鮮明に覚えています。ロイヤルハウスの若いスタッフの親身のお世話を頂いたお陰で、両親も大変居心地が良く、食事を含めて安心して生活できるとの感想を持ってくれ、体験入所に引き続いて9月にそのまま正式入所の契約を結ぶことになりました。

心休まる場所を見つけて

 前年に母が倒れてからの1年は、我々の家族にとっても想像以上に時間的、精神的負担があったことも事実で、実際に介護の経験の無い人には理解し難いことかもしれませんが、ロイヤルハウスにお世話になるようになってどれだけ精神的に楽になったかを考えると感謝の気持ちで一杯になります。ロイヤルハウスにお世話になって、特に母の気持ちが大変穏やかになったことは、我々子供にとっての救いでもありました。父も母の姿が見えないと落ち着かない様子でお互いを頼りにしながら過ごすロイヤルハウスが終の棲家と思えるようになったと言ってくれるようになったこともこの選択が間違いではなかったことの証と感じています。

 お陰様で、子供は子供の生活を送りつつ両親の生活面での心配が無くなったことの有り難さを噛みしめています。こうした状態の続く中、平成5年4月5日桜の花が満開の時に89歳で父が他界しました。
前年の11月に第1病院に入院した時に、私の妻に「もう僕のことはほどほどでいいから、自分たちのことを大切にしなさい」と言ってくれたと泣きながら私に報告してくれました。そう言ってくれた父の気持ちが私にとってはせめてもの慰めになりました。
 父の死後、暫くは落ち込んでいた母も立ち直り、父との思い出の残るロイヤルハウス226号室が何処よりも心休まる場所となっているようです。
昨年末も私の家で新年を迎えようよと誘ったのですが、「私はここが一番良いよ。テレビで歌舞伎を見ているのが一番の楽しみだよ。」と言って出かけようとしませんでした。
 昨年秋にスカイパーフェクトTVを導入していただき、伝統芸能のチャンネルで娘時代から好きだった歌舞伎番組を楽しんでいるようです。

 母は、この4月18日で満92歳を迎えますが、常に前向きな母の姿を見ていると、明治生まれの気骨と子供に迷惑を掛けまいと踏ん張る愛情の深さにいつも身の引き締まる思いで、子供として頑張らなければと心を新たにするとともに、安定した精神状態健康状態の維持にご尽力いただいているロイヤルハウス石岡本館のスタッフの皆様に心より感謝申し上げたいと思います。
 今後とも、宜しくお願いいたします。

2002/4/1 記

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