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お便り集

父の笑顔を取り戻してあげたい

ご入居者ご家族 新国孝子様

 父は明治生まれの頑固一徹な人でした。でも、私達子供にとっては優しく、おとなしい良い父でした。
 今とは、全然違いますが、父はあの有名な会津若松の喜多方ラーメンのその少し入ったところの山の麓で生を受けました。4人兄弟の3男坊、家は農業をしていました。
 父は早くから、両親と死別していたので、祖母に育てられたそうです。それから20歳で上京して母と二人でとても苦労したと思います。

 私達もあの戦争で早くから疎開をして、父方の親戚へ行っておりました。いつ頃東京に帰れるのかと毎日のように思いつつ、5年有余という長い月日が経ちました。その間、楽しかったこと、辛かったこと、色々とありました。 あの時代は日本国中、どこもかしこも大変な時代でした。

 実際に父も35歳のときに軍隊にとられました。それでも陸軍に入ったときは上司の方に可愛がられたので、さほど辛いことはなかったと話してくれました。しかし、あと半年もそこにいたら、間違いなく父は遠い彼方に行ってしまっていたことでしょう。  
 それから、父との面会許可の通知が届き、私は弟達3人を連れて、新潟まで父に会いにいきました。後で聞いたのですが、それまで父は、二度と私達子供に会えないと思っていたそうです。

母の存在が父の支えに

 その後、父が軍隊から帰り、元の職場に復帰して私達家族5人を守るように一生懸命に育ててくれました。その苦労は並み大抵ではなかったと思い、両親には感謝してもしきれません。  しかし、その背景には辛い日々がありました。戦火で家も焼けて帰るところもなく、また東京に帰ってこられるとは夢にも思いませんでした。その頃、父から、嬉しいニュースが飛び込んできました。抽選で家が当たったのです。私達はそれはそれは喜び、状況をある程度把握していた為か、長女である私は人一倍喜びを噛み締めていました。まるで、昨日のことのように思いだされます。 いよいよ東京へ戻る日、田舎まで迎えに来てくれたのでした。お米などのたくさんの荷物を持って、満員の夜汽車にゆられて帰りました。 帰ってからも大変でしたが、あの気丈な母がいてくれたからこそ、父も元気を取り戻したと思います。  母もまた、両親を亡くし、父とは同じような境遇でした。母は働き者で、竹を割ったような性格でした。その母も亡くなり、今年で3回忌になります。

父を変えた母の死

 父が元気でいるときは、私と一緒になって手助けをしてくれたり、また買い物にも行ったりしてくれていました。本当に若いときの父は厳格で、躾が第一、礼儀作法に付いては特に厳しく、良く叱られていました。そんな父の思い出からは、想像もできないような状態へと父を追い込んだ原因は、伴侶である、母の死でした。父は、母の死による悲しみから精神的にバランスを崩し、生きる気力を失くしてしまったかのように変わり果ててしまったのです。
 私もびっくりしましたが、どう対処してよいものか・・情けないやら、悲しいやらで途方に暮れていました。「毎日が闘い」と思って暮らしていたような気がします。

ホームで元気を取り戻した父

 そんなとき、ロイヤルハウス石岡を知りまして、入居した次第です。入居してから、早いもので今年9月で2年になります。
 当初は、私たちも心配でしたが、何より、父自身が不安を抱えていたと思います。年齢相応の痴呆が少々見え隠れはしているものの今では以前に比べると、とにかく元気で暮らしておりますので安心です。笑顔が戻った父を見て、これも一重にホームの職員の皆様のおかげと感謝しております。これからも迷惑や面倒をおかけすると思いますがよろしくお願いいたします。

 最後になりますが、職員の皆様のご検討をお祈り申し上げます。

1999/6/1 記

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